アフロじゃないぉ(・ε・)

深淵を覗く者は深淵からも覗かれている(⊇)

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旅立つ者とそこに残る者

お久しぶりデ━(=゚ω゚)b━ス

7月12日から3日ほど叔父の葬儀のため留守にしていました。

ブログに書くのは初めてなのですが、実は先月の17日に既に離婚をしている父親が亡くなったため、15年ぶりに顔を見たのが葬式 という形になってしまいました。

父親とは色々と複雑な過去の事情により完全に縁を切っていたのですが、父に身寄りが無かったという事と病気になる2年ほど前から、以前母や私が大変お世話になっていたキリスト教会に身を寄せていたため、そちらの牧師から「何とか葬式に来てもらえないだろうか。」という電話を頂いた事もあり上京をして、葬儀後、死亡手続き・アパートの整理・その他の事務処理などを片付けていた矢先に、以前から癌治療をしていた叔父の訃報を受けるということになってしまいました。

父親の死は自分にとっては20年以上前に離婚をしてその当時受けた様々な事が頭から離れず、そして15年も離れて生活をしていた事もあって、ほとんど実感がありませんでした。

叔父は母が父と離婚をしてから母の故郷へ戻ってから、私と姉を実の子供達と同様に面倒を見、世話を焼いてくれた人で、子供の頃の楽しかった記憶は全て叔父に作ってもらったようなもので、私にとっては本当の父親のような存在でした。

でしゃばる事が無く控えめで、多くは語らず、決して激しく怒る事も無く、かといって軽薄な言動をする事も無く、ただ自分の姿勢を見せる事でその背中を見て学べるような叔父だったと思います。
少なくとも私はその叔父の背中を見て自分もこうありたいと心にとめつつ大人になったと思っています。

11ヶ月ほど前に風邪かと思い、病院で検査した結果食道癌と言う事が発覚して以来、奥さんである叔母と2人で必死に癌と闘ってきました。

私も自宅療養中に何度も顔を見に行ったり、病院へ入院してからも数回お見舞に行っていました。
発覚した時既に5段階診断でLEVEL4という末期症状で、放射線と抗がん剤治療だけが助かる可能性のある唯一の手段の中、出来る治療は全て施し、たとえ助かる可能性が限りなく0に近くてもほんの少しでもその可能性に賭けて、普通なら音を上げるような状況の中でも叔父は辛いとか苦しいとかそう言った泣き言1つ言わず、そして諦めて荒れるような事も無く、ただ黙々と「治そう」という事だけを考えて、お見舞に来てくれた人には気丈に振舞い、このまま頑張れば本当に完治できるのではないかと思うほどでした。

ただ、2週間ほど前にお見舞に言った時、驚くほどに痩せてしまった叔父を見た時は動揺が隠せませんでした。
帰る時に叔母から「なるべく顔を見に来て欲しい」と言われたのですが、叔父は人に自分が弱って行く姿を見せたくないと思っているだろうと思っていたのと、自分が普通に接する自信が無かった為、どうしても病院へ足を運ぶのがためらわれてしまいました。

そして今週の頭にお見舞いに行った時、病室の移動がありました。
叔父が入院していた病院で4人部屋から個室への移動は医者の判断でそう長くは無いという判断を下した事でした。
鼻装着式の酸素マスクから口まで覆うマスクへの変更、今までの抗がん治療の副作用により歯は全て抜けてしまったためつけていた入歯も苦しくなりそれも外し、それはもう覚悟の時が近づいていたんだと思います。

7月11日の夜は、体調が悪かったためお酒を飲まずに12時頃にはウトウトしていたのですが、寝てから30分もした頃におふくろの携帯に叔父の危篤の連絡が入りました。
私はおふくろを車に乗せて大急ぎで病院へ向かいました。
病院へ到着して駐車場から病院の裏口へ走って向かい、小走りで叔父の病室に入った時私の目の前にはずっと看病をしていた叔母と私より少し先に到着していた叔父の次男と先に病室へ向かっていたおふくろが、既に息絶えている叔父の周りに立っている光景が広がっていました。

「ひで、ごめん間に合わなかった・・」と叔母が涙声で私に声をかけ、私は叔父の傍へ行き、叔父の頭と腕を取りしばらく放心状態で叔父をぼーっと見つめていました。
叔父は2日ほど前に容態が急変してその時痛み止めも効かず相当暴れたそうです。
11ヶ月間一度もそのようなことが無かった叔父が痛みのあまり錯乱し暴れるほどの苦しみだったのでしょう。
そこまで頑張って頑張って、最期は眠るように死んでいったと聞かされた時には、涙が止まらなくなって声を殺すように泣いていました。

それから間もなく長男が息を切らして病室へ入って来て大きく肩を落としてうなだれていました。

地元に叔父と母を含めて6人の内4人の兄弟が居るので、私が車で2人の叔母を迎えに行き、病院での対面をしたあとは、葬儀の準備をするために叔父の奥さんを病院へ残し家へ戻り、それからは泣いている暇も無いほどのハードスケジュールでした。

身内で自由に動けるのが私しか居なかった為、葬儀での会計係をする片手間に雑用などをこなして、頭がオーバーヒートするんじゃないかと思いました( ゚ρ゚ )

叔父はプールの管理などをする仕事をしていたのですが、その頃のアルバイトの人や友人その他諸々などで葬儀前夜当日合わせて600人以上の参列者には驚かされました。

御花料(キリスト教での香典)管理をエクセルで作って打ち込みしたのですが、この数のおかげで全くといって良いほど葬儀に参列できませんでした(´;ェ;`)ウゥ・・・

とまぁこれがここ数日の出来事です(・ω・)ノ

葬儀が終わってからも手伝う事がいくらか出てくるとは思いますが、一番は今まで必死に看病してきた叔父の奥さんの心配なのですが、次男が結婚をして孫が居るので、その子がかなりの助けになっていて少しは安心です。
孫をあやしている叔母を見ていると、なんかこういうのって当たり前なのかもしれないけど、良いものだなぁ なんて思ったりします。

自分はあまり家庭環境が良くなかったのもあって、結婚をして子供ができて家庭を持つという事への不安が大きかったため、今でも一人で居るわけなんですが(決してもてないとかじゃないと思いたい)歳の近いいとこが自分の子供の世話をしてちゃんとお父さんしてるの見るとなんか羨ましく思う事もたまにあります(「ΦωΦ)「

長い人間のサイクルで、こっちの世界で子を残して寿命を全うして子供達に送り出してもらうという事を大昔から繰り返してきているわけで、自分もそのサイクルにしっかり入っているけど子を残してないな。。とか思うとなんかどうしましょうって感じですね川゚д゚川y─┛~~

長々と書いてしまいましたが、この日記を書いた一番の理由が、自分がこのことを忘れないように何かに残しておきたかったというのがあります。
こんな物見ても第三者にしてみたらナニコレみたいなものですので、完全に自分の為ですね川゚д゚川y─┛~~
とりあえずこんな感じでした。最後まで読んでくれた人 ♪♪♪ d(`Д´)b♪♪♪サンキュ


まぁ、上の日記は大体の綺麗なところだけみたいな日記でしたが、ちょっとしたネタもありました。
葬式といえば供養のためにといって飲んで食って故人を懐かしんで語るひと時があるわけですが、その中でも酒癖の悪い人がおりまして、泊まった際に酔ったとはいえありえない粗相をしていった方もおりました(⊇)

そういった粗相の後始末も私たち若手の仕事だったのですが、あまりにも激しかったのでちょっとおしおきをしてみました(⊇)↓



rakugaki.jpg

書いているのは喪主(私のいとこ)です(・ω・)


そして出来上がり(⊇)↓




rakugaki2.jpg




ドアップ(⊇)↓




rakugaki3.jpg



まぁ一通りやったあと「で、この人だれ?」みたいな話しになったのですが、後で聞いたら叔父の幼馴染の人だったそうです。
普通に考えたらこんな失礼な事ありえないと思われると思いますが、粗相の内容を聞けば納得すると思います。
内容はこの人の名誉のためにブログでは書けませんがどうしても知りたい人はこっそり内緒するかメッセで聞いてください(・ω・)ノ
教えるのはお友達だけなので知らない人の場合は教えられません(*ノェノ)
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  1. 2006/07/16(日) 04:55:29|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:9
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コメント

私もおじいちゃんのお見舞い行ってたのを思い出したよ。
すっごい太った人でね~
どらえもんが大きくなったと言うか、背も高く、横にも広く大きい人だった。
そして、その身体に見合うくらいのかなりの偉業を成し遂げた人でもあって
私にとってはちょっとした尊敬の念もある人だったんだけど
実の娘の母とは疎遠でね。
疎遠とは言っても第一孫の私に会いに遠出してくれてたみたいだから
孫に会いたいと言いながら、母にも会いたかったんだろうなって思う。
そんな大きな祖父が病院のベッドですごく細く小さくなってた。
院内感染もあったようで、久しぶりに見た時は子供のようにちょっとボケも入った姿にびっくりしたね。
私を見て母の名前を呼んで、母と疎遠になる前の頃を思い出してるんだろうなぁって。
笑ったまま亡くなった姿にほっとしちゃった。
おじいちゃんの葬儀に来た人の数を見て、私もその血を引いてることに誇りを持てちゃった。
偉大すぎて近づけないけどねw
そばにいなくても、生きてなくても
自分にとって大きな存在の人はいつまで経っても消えないね^^
ひでちゃんの偉大なおじ様も空からひでちゃん見てるよきっと。
いつか報告したいよね。私もひでちゃんもさ♪
  1. 2006/07/16(日) 16:37:16 |
  2. URL |
  3. 櫻ちゃ #PKcD1O26
  4. [ 編集]

色々あったのね。冥福を祈ります。
  1. 2006/07/16(日) 19:24:56 |
  2. URL |
  3. おかき #-
  4. [ 編集]

『親』ってのゎ木の上に立って自分のことをずっと見てくれてて自分がとんでもなく危険なとき、
たとえ手足が捥がれようともその木の上から飛び降りてきて自分を守ってくれる人を言うのでゎないんだろうか?
しでしでにとってのお父さんゎまさしくその叔父さんだったんでしょう。
そんな身近な肉親を亡くしてしまぅ心の痛みなど
今のじゅりにゎ想像すらできるものでゎなぃと思います。

しでしでの中で叔父さんをずっと生かせてあげてくださぃね。
ご冥福をお祈りします。
  1. 2006/07/17(月) 01:18:26 |
  2. URL |
  3. じゅり #UiRvazss
  4. [ 編集]

櫻ちゃ>死んだ人はいつまでも高みに居る存在になってしまうと思うから、いつか「少しでも叔父さんに近づけましたか?」って聞けるくらいの自分にはなって居たいd(゚ー゚*)ネッ!

おかきんぐ>色々あったのです(・ω・)ノ ご丁寧にありがとね~( ̄∀ ̄*)イヒッ

ぢゅり>(=゚ω゚)(=。ω。)(=゚ω゚)(=。ω。)ウンウン、そういうのは血のつながりだけじゃないからきっと俺にとっての親父っていうのは叔父さんだったんだ(*゚Д゚)(゚Д゚*)ネー
きっと年取ってじじぃになっても俺の中でおじさんはあの時のままの自分の目標として生き続けるんだろうね(・ω・)
  1. 2006/07/18(火) 23:32:04 |
  2. URL |
  3. しでとき #-
  4. [ 編集]

ひでときさんこんにちは。
日記読んでいて、あたしと似たような環境ダナーというのを感じました。
コメント欄に私事になってしまい失礼かと思いますが
あたしの両親も、あたしが2歳半の時に離婚し、その時から結婚するまでの20年間は親権は父親、育てているのは母親ということもあり苗字が母親と別でした。
また、その父親にも一昨年の8月になくなるまで一度も会ったことがなく、亡くなったことは父親の弟から1週間遅れて連絡を頂きました。
なのでもちろん葬儀に参列もできず
挙句の果てには800万ほどの借金を背負っており
遺産相続(負債も遺産)の手続きを放棄するために半年かかったりなんかしました。
顔も覚えていない父親が亡くなって、今まで苦労してきたことを考えたりすると許せない気持ちでいっぱいなのですが、やっぱり一度くらい孫の顔を見せてあげたらよかったと悔いは残っています。
ひでときさんは家庭を持つことに不安を感じているようですが、そういうひでときさんだからこそ、温かい家庭を作って上げられるんじゃないかとあたしは思います。
お母様がお元気なうちにかわいいひでときさんの子供を見せてあげられるよう祈ってます。
お父様と叔父様のご冥福をお祈りいたします。
  1. 2006/07/19(水) 08:46:50 |
  2. URL |
  3. みや #llOsW3ec
  4. [ 編集]

みやママ>みやママも大変でしたなぁ。 うちは離婚した時に親権を外していたのでそう言った面倒事は無かったのでまだ楽だったです(・ω・)ノ
まぁ、身寄りが無い親父なので東京行って手続きしたり葬儀にかかった費用の支払いとか少しだけどそういったものの処理がまだ残っててちょと大変です(・ω・)
親になってみないとわからない事もいっぱいあるんだろうなぁ。
いつかわかるといいですね(・ω・)
  1. 2006/07/20(木) 09:33:17 |
  2. URL |
  3. しでとき #-
  4. [ 編集]

自分も祖父・叔父を亡くしてるんですが、祖父は自分が赤ん坊だった頃に亡くなったので、思い出がないのが残念で、写真を見てどんな人だったのかなぁ~って、いつも思ってます。
叔父は小さい頃に田舎に里帰りすると、色んな所に連れてって遊んでもらったので、とても大好きでした。
30代と若くして亡くなってしまい、当時小学生だった自分には「人の死」が理解できなかったので、涙を流す事が出来なかったです。
それよりも葬式で母・祖母が泣き崩れてる姿が、非常に印象的で、祖母が「自分の子供に先立たれるほど悲しいものはない」という言葉を今でも覚えています。
今、誰かが亡くなったら、その人の為に涙を流せるか正直分かりませんし、できる事ならそのような体験はしたくないですが、これから生きて行く中で避けられない事です。
人生、楽しい事もあれば、悲しい事もあるんだなと
思ってしまいました。
  1. 2006/07/20(木) 17:01:33 |
  2. URL |
  3. ぱぴぽ #-
  4. [ 編集]

そっかぁ・・・あの叔父様お亡くなりになられたのね・・・。
なんでこの人が?っていう良い人ほど早く天に召されるよね。本当に惜しい。

私が送ったリンゴジュース飲んでくれたのかな。美味しい物を食べてる時は幸せというくらいだから、少しでも幸せになってもらえてたら良いなぁ。
叔父様のご冥福をお祈りいたします。

あと、お前にも早くイイ人が出来ればいいな。お母さんに孫見せてやれ。とかいいながら私がまだ生んでない( ´,_ゝ`)どうするべ
  1. 2006/07/20(木) 18:53:47 |
  2. URL |
  3. ちゃむちょん #6XGrrLw2
  4. [ 編集]

ぱぴたん>身近な人が死ぬときってその人との関係の深さ・関わりあい方とかが大きいかもしれないねぇ。生きていれば色んなことを経験しながら大人になっていくものだからその中での出会いを大切にしていきたい(*゚Д゚)(゚Д゚*)ネー

ちゃむ>あの時いただいたジュースも叔父さん美味しいって言って飲んでいたみたいだよ~。まぁ俺よりお前の方が先に結婚できそうだから高齢出産になるまえにさっさと子供作って割り箸をスパーンと割れるようなアフォな子に育ててください(・ω・)ノ
  1. 2006/07/26(水) 13:40:29 |
  2. URL |
  3. しでとき #-
  4. [ 編集]

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